わろてんか|リリコモデルのミスワカナの最後が悲惨すぎる!

 

 朝ドラ『わろてんか』では、北村笑店の次なるスター芸人として売り出されるのが、

ミスリリコアンドシローのコンビです。

 

当初はしゃべくり漫才ではなかなかうまくいきませんが、流行歌漫才という新しいジャンルを

確立して大いに売れることになります。

 

このミスリリコアンドシローのコンビのモデルとなっているのが、ミスワカナと玉松一郎

コンビです。

 

彼らは戦前の吉本興業の大スターで、歌謡漫才というジャンルを確立して一世を風靡しました。

 

中でもワカナは話芸に非常に長けており、当時の彼女を知る人は「不世出の天才」と呼ぶほどです。

 

そんなワカナですが、悲惨な最期を迎えていました。

 

 

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リリコモデルのミスワカナの最後が悲惨すぎる!

 

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ミスワカナが亡くなったのは昭和21年(1946年)のことでした。

 

阪急西宮球場でおこなわれた野外演芸会の帰りに、阪急西宮北口駅のホームで倒れて

36歳の若さで急逝しています。

 

死因は通説ではヒロポン中毒と過労による心臓発作とされていますが、当時の付き人は

「ヒロポン(覚せい剤)は2年前からやめていた」との証言もあり諸説あるようです。

 

しかしワカナは昭和15年(1940年)頃からヒロポンを使いはじめ、昭和17年(1942年)以降は

重篤な中毒症状が現れていたことは事実でした。

 

意味もなく楽屋に閉じこもったり、意味不明なことを言ったり書いたり、舞台のネタを

間違えたりするなどしたそうです。

 

ワカナに可愛がられた女優の森光子さんや当時の芸人仲間だった島ひろしさんらが、

ワカナのヒロポンの使用について証言しています。

 

ヒロポンは戦前から戦後にかけて疲労回復などで広く使用されており、昭和26年(1951年)の

覚せい剤取締法の制定前まではその使用は合法でした。

 

また過酷な芸人の世界では戦前よりまん延しており、「ヒロポンをやらなきゃ芸人ではない」

などとも言われるほどでした。

 

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ワカナ以外にも柳家三亀松やミヤコ蝶々、笠置シヅ子、かしまし娘の庄司歌江さんらも

重篤な中毒に陥っていました。

 

正司さんに至ってはその後、12歳から20歳過ぎまで薬漬けだったことを告白しています。

 

また三波伸介、東八郎、藤田まことさんらも、ヒロポンを使用経験があることを語っています。

 

少し話が脱線しましたが、いずれにしても全盛期のミスワカナはヒロポン中毒と戦っていました。

 

前記の付き人の証言が正しければ、彼女は最終的にはヒロポンとの戦いに勝って

これを断ち切りましたが、突然の死を迎えています。

 

またワカナは若い時にかなりの苦労をしていたことから、非常に面倒見がよかったことで

知られていました。

 

そのため昭和33年(1958年)には追悼興行がおこなわれ、弟子やゆかりのあった芸人も

多数出演しています。

 

ドラマでは歌って踊る華やかなリリコですが、モデルとなっているミスワカナには

このような凄惨なエピソードがあったのです。

 

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